ちゃちゃさんの作品




  4




「だから、いつまでも猿なんかで実験していても
 埒があかない、と言ってるんです!!」

「だが、宝条くん、人体実験はダメだ。
 まだ危険要素が多すぎる。
 ジェノバ細胞の移植はもちろん、魔晄の照射も不確定要素が・・・・」

「そんなことをいっていたら、いつ実用化できると言うんですか!?
 今現在だって、難病で死に瀕している子供がいるんですよ!」

「その議論は古来から続いているがね。
 多くの命を助けるためなら、目の前の命をぞんざいに扱っていいというわけではないよ」

「でも、志願者がたくさんいるんです!
 なにも知らないものを実験台にしようというわけじゃない!」

「・・・・・とにかく、ダメだ」

「・・・・・!!」

ガスト博士にはねつけられた宝条は、音高く椅子を蹴って出ていった。

「ふう・・・」

「・・・博士。でも、いつかはふみきらないとならないですよね?」

「ああ、それは・・・わかっているんだが」

私の問いかけに、ガスト博士は語尾を濁らせた・・・・。


ジェノバ細胞の移植実験。加えて魔晄の照射による細胞の強化。

動物段階ではすべてが順調だった。
移植をした個体は、ほとんどすべてにおいて高い能力をしめし、
特に運動能力と、寿命の長さは、その種の限界をゆうに越えていた。

ただ・・・・移植の量、場所には、かなりデリケートな問題があった。

移植の成果が正確に予測できないのである。

それに、一部の個体に、少々異常な狂暴性が確認された。



「例のマウスは、一晩で同じケージの仲間をすべて喰い殺してしまっただろう?」

「ええ、でも、猿ではそんな結果はひとつも出ていませんわ。
 知能レベルの低いものに移植すると、まれに脳細胞が耐えられないのかも、と」

「いや・・・・マウスにくらべて、猿は実験した個体数が少ない。
 動物愛護団体の圧力とか、いろいろ問題があるからなんだが・・・・。
 ひとつ間違うと、たいへんな結果になるような、イヤな予感がしてなあ」

「・・・・」

それでも、いつかは通らねばならない道だった。

私は、人体実験をしぶるガスト博士が、ただの臆病者に思えてきていた。



どうしてそこまで自分の心を驕りで穢していられたのか、
・・・・魔に魅せられていた、などというのは、いいわけだろうか。

実際、ジェノバは、悪魔そのものだったのだが。





「ガスト博士、社長がお呼びです」

「ん?そうか」

数日後のことだった。
社長直々に話がある、ということで呼びつけられたガスト博士は
数時間後に、複雑な表情でもどってきた。

「ルクレツィアくん」

「はい。なんでしょうか」

「実験は明日からレベル3に入ることになったから、
 準備のほう、よろしく頼むよ」

「・・・・え?!
 じゃあ・・・決心なさったのですか?」

レベル3、とは「人体実験」を示すコード名だ。

「社長みずからすでに志願者に通知してしまっていてね・・・・」

「わかりました!!」

ガスト博士はあきらかに不愉快そうだった。
それはそうだろう。
これは明らかに上部からの圧力である。

だが、私の気分はあきらかに高揚した。
それは、他のスタッフも同じだったと思う。

「・・・・とにかく、やる以上はけして失敗は許されない。
 猿のデータから、絶対の安全値を割り出して、慎重にいこう」



にわかに忙しさが増した。

私と宝条はひとつの車をひく馬車馬になったような状態で働いていたが
ふと、思いついて聞いてみたことがあった。

「宝条さん。もしかして、ガスト博士がレベル3にふみきるように
 上部に申告したのは・・・あなただったんですか?」

「・・・・・・。知ってるとばかり思っていたが」

「いえ、そうじゃないかとは思っていましたが」

「軽蔑するかね?」

「いえ、私も、そろそろ我慢の限界でした」

「ふふふ、意外に正直だ」

・・・・連日いっしょに激務に励んでいるせいだろうか、
この時の宝条は、今までと違って穏やかで優し気だった。

「でも、それだと、万が一のことがあった時には
 ガスト博士よりも宝条さんのほうに非難がいくかもしれませんね・・・」

「・・・そのほうが都合がいい」

「え? なぜ?」

「プロジェクトの責任者はガスト博士だ。
 私が飛ばされてもプロジェクトは続くが、ガスト博士が飛ばされてはどうにもならんからな」

・・・この言葉を聞いて、私は宝条という男を誤解していた、と思った。

出世欲と自己顕示欲の強い男だと思っていたからだ。
でも、宝条にとって、出世や他人の評価はあまり問題ではないらしかった。

とにかく、研究のことしか頭にない、ほんとの科学者タイプ。
私は宝条に対する認識を、そう改めた。



・・・・このこと自体は、いまもそうなのだと思っている。

ただ・・・・その時の私には、そのことの本当の意味がわかっていなかった。

宝条がそういう男であるということを、むしろ好ましいこととして捕らえてしまったのだ。

そして・・・私は宝条という男に、惹かれだしたのだった・・・・。











ドアをノックする音で目がさめた。

重い体をひきずり、ドアにむかう。

「ルクレツィア・・・よかった。何度電話しても留守電だし、
 ・・・・・心配したよ」

「ごめんなさい・・・このところ、ほんといそがしくて
 やっととれたお休みだったから、眠りこんでしまったの・・・」

「うん、わかるよ。
 でも、このところほとんどいっしょに帰ることもできないし、
 なかなか会えないからね・・・心配になって来てしまったんだ。
 ・・・・疲れているんだね、ごめんよ、起こして」

私はよほどひどい顔をしていたのだろう。
ヴィンセントは瞳を曇らせた。

「チャイムの音も聞こえなかった?」

「ううん、それはけっこう前から壊れているのよ・・・」

「じゃあ、直していってあげるよ。
 あ。それとも、私がいないほうがゆっくり休めるかな?」

「そんなことないわ。
 いいの?頼んで・・・・・?」

「ああ。君はゆっくり寝ていたらいい。
 起こしてごめんね」

「ありがとう。じゃあ、ほんとに、寝かせてもらうわね」



再び目を覚ました時には、すっかりチャイムの修理も終わり、ヴィンセントは台所にいるようだった。

「・・・何してるの?」

「ん?ああ、起きたのかい。ちょうどよかった。
 何か栄養のあるものを食べさせてあげたいと思って、ね」



ほどなく、湯気をたてたスープや野菜の料理がテーブルを飾った。

「ありがとう・・・!美味しそう・・・。
 ごめんなさいね・・・ほんとなら私がごちそうしてあげるところなのに・・・」

「たまには私のつくった素朴な料理も悪くないだろう?」

「ううん、十分豪華よ。すごく美味しい・・・」

「そうか、よかった」

彼のつくってくれたあたたかい食事は、私の体をあたためてくれた。

そして。

・・・・彼の暖かい腕や、息遣いは、私の心をもあたためてくれた。

お互いを貪り合うような情慾とは違うものだったけど、
私達はいつも、お互いを慈しむように愛しあった。



愛していたのは本当だった。

本当に、心から、私は彼を愛していた。









季節の移り変わりに気がつかないくらいにせわしなく、時が行き過ぎていく・・・。





「顔色が悪いな」

記憶にある台詞に、私はデジャヴを見たような錯角を覚えた。

でも、台詞の主は、今度は宝条だった。

「あら、宝条さんがそんなこと心配してくださるなんて。
 意外だわ。私の顔を見てることもあるんですね」

その時には、そんな口調で会話ができるくらいに、私達は親しい雰囲気になっていた。

「まあ、特別な人の顔しか見ないのは確かだけどね」

・・・・・・・。

そっけない、その台詞に、私はひどく動揺した。
女の扱いになれた、調子のいい男なら、いくらでも垂れ流すような言葉なのに。

宝条が言うと違って聞こえたのだ。

「たまには息抜きしないか」

「ええ? 本気ですか?」

「ああ。デート、というのかな。
 つきあってくれるのなら」

「どういう風の吹き回しかしら。
 雪でも降りださなければいいですけど」

そんな軽口をたたきながら、私は妙にうきうきしている自分に驚いていた。





宝条とのデートは思った以上に楽しかった。

お酒が入ると意外なほど饒舌になる宝条は、
話題も豊富だったし、彼との会話は常に刺激的だった。

「また誘っていいかな」

「ええ。もちろん。とても楽しかったわ」

「私もだ。やはり、君は並の女じゃない。
 いや、女、なんていう言い方はダメだな。
 うん、やっぱり、君は特別な人だ」

その後のデートでも、これがあの宝条なのか、と、思うほど
彼は私に対する賛美の言葉を惜しまなかった。

そしてそれはいつも必ず
「いや、言葉で言い表せないな、やっぱり、君は特別だ」
で、結ばれるのだった。



・・・・予感はあった。

このままでは、いつか、ヴィンセントを裏切ることになる、という・・・・。

しかし、それをゆっくり自分の中で突き詰めていくには
精神的なゆとりがまったくない生活が続いていった。


実験の規模がどんどん拡大していったからである。
さまざまなケースで、めざましい結果が得られたのだ。

移植法と結果をわりだすためにはそれ相応のデータがいる。
志願者は公に募られ、しかも、志願するものは後を断たなかった。

志願者はたいてい兵士だった。
知能的にはさほど優秀ではないが、その分、精神的にも肉体的にも打たれ強いタイプ。

ジェノバ細胞を移植することによって、
彼等の反射神経、瞬発力、腕力、持久力、体力・・・・
およそすべての肉体的能力が格段と上がった。

これには上層部も大喜びだった。

なんでも、彼等を「ソルジャー」とかいう、特種戦士として
一般の兵士とは別に階級付ける計画らしい。



・・・・何かが違う。

私達は本来、不運にして病弱に生まれたり、不幸な事故に遭った人々を救うために
この研究をしてきたのではなかったのか。

ジェノバプロジェクトは、人々に新しい命の希望を与えるプロジェクトとして
はじまったのではなかったか・・・・・?

・・・そんな思いを、宝条に話してみたこともある。


「うむ・・・・たしかに、軍事力の増強のためにあるプロジェクトじゃない。
 そんな目的だったら、なにも新兵器を開発すればすむことだ。
 よほど簡単だよ」

「そうよね?だったら・・・・」

「だが、実験に志願してくれる者は、みな兵士だ。
 それにな、あくまでも、スポンサーは神羅、だ」

「・・・・・・」

「もちろん、このままで終わらせる気はないよ。
 病人でも、怪我人でも、本人がいいというなら、応用していく。
 そのためにはたくさんデータがほしい。
 まあ、そのために今は静観している、というところだ」

「・・・わかったわ・・・」



病人に移植をするチャンスは、この会話の数週間後にやってきた。

生まれつき心臓が弱く、おまけに特殊な免疫体質で
心臓そのものの移植が難しいという子供だった。

「・・・でも、それじゃ、ジェノバ細胞の移植も難しいのでは・・・?」

この話をもってきたのは、ガスト博士自身だった。
博士らしくないような気がして、私は聞いてみたのだが・・・・・。

「いや・・・・。どのみちもう、先がないそうなんだ。
 今も意識がない。御両親のたっての頼みで、ね」

「なるほど・・・・そうでしたか・・・」



しかし、この実験の結果は悲惨なものになった・・・・。

移植そのものはうまくいったのだ。
拒否反応は出たが、ジェノバ細胞のほうがはるかに強かった。

ジェノバ細胞は、おどろくほど短時間に、本体の細胞にとってかわっていき
・・・・あげく、心臓以外の部分にまで侵略をはじめた。

弱い本体の組織はみるみるうちに支配されていった。

そして・・・・・。

数時間後に、目覚めたその子供は・・・
・・・・すでに人間ではなかった。

獰猛なうなり声を上げ、体表には奇妙な触手が突き出て・・・。
骨格からなにから、すべてが・・・・モンスターそのものだったのだ・・・。



「なんということだ・・・・!」

「ひ、ひどい・・・」

博士もわたしも、ショックのあまりどう対処していいかわからなかった。

「できることはふたつに一つです。
 安楽死させるか、もしくはモンスターのまま生きていけるような場所に捨ててくるか」

「ほ、宝条さん・・・・」

「しかたないだろう?」

・・・安楽死のほうを、私達は選んだ。




「神よ・・・・・。
 我々は何をしてきたんだろう・・・・」

「ガスト博士。我々はもうとうの昔に神を裏切っていますよ。
 死ぬ人間を、生き延びさせようということ自体がそうなんだ。
 いまさら、プロジェクトそのものに疑問をもったりなさらないでくださいね。
 博士の研究そのものが悪いわけではありません」

冷静にガスト博士をなぐさめる宝条が、とても頼もしく見えた・・・。

宝条の指示で、スタッフは後の処理を黙々とこなし・・・・
終わったのは、何時だったろうか・・・とにかく深夜だった。

「さて、帰るか・・・こんな時間か。
 君はどうする?ルクレツィア」

「・・・・」

「どうした、気分が悪いのか」

「いいえ、大丈夫よ」

「うん、まあ、ふつうの女ならここまでもたないだろうが、
 君はそこらへんの女とは違うからな。
 だが、まあ、今日はたしかにひどい一日だった」

「ええ・・・・」

「・・・・なんなら、いっしょに来るかい?」



・・・・・・言い訳はできない。

断ることはできた。

それなのに私はこの時、宝条にヴィンセントのことを打ち明けることさえしなかった。

黙ったまま、私は自分から一線を越えたのだ。

その夜。

私はどうかしていた。すべてにおいて。





「・・・・なんていうか、驚いたな」

「・・・え?」

「情熱的な人だったんだな、と」

頬に血が上るのがわかった。

「ごめんなさい・・・・」

「何故謝る? 何も悪いことじゃないさ。
 私も、そういうタイプだろ?ふふふ」

・・・・たしかに。

研究ばかりでろくに女性とつきあったことがないのではないだろうか、と
心のどこかで想像していた宝条は、
ベッドを共にしてみると、全然違った印象の男になった。

「でも、やっぱり君は特別だな。
 君みたいな女は他にはいない」

呪文のようにつぶやいたいつもの宝条の台詞。

・・・・・そして私は。

捕われた、のだった・・・・・。





・・・・・はたしてこれは、恋だったのだろうか。

今でもわからない。

でも、その時はどうしようもなかった。


麻薬と同じだった。

激しい嵐のようなそれに、
ヴィンセントのくれたあたたかな温もりは
私の体から、あっという間にかき消えていってしまったのだ・・・。













続く