「フッ、苦戦してるようだな」 緊迫を打ち破って空洞に男の声が響いた。 エリカはその声に一瞬驚いたが、それはミノタウロスも同様だった。 いつからいたのだろうか、空洞の入口付近に一人の男が立っていた。男は少年とも青年ともつかぬ顔立ちで、金色の髪から覗いた長い耳が、彼が人間ではないことを物語っていた。男は燃えるような紅い瞳を楽しそうに輝かせながらエリカを見ている。 「今まで何してたんだよ?」 エリカはミノタウロスから視線を逸らさずに口を開いた。 「いろいろ探してみたが金目のものはないようだな」 洞穴は複雑に入り組んでおり、この広い空洞の他にもいくつかの空洞があった。 「今度はオトコか…オトコに用は無い、死ね!」 ミノタウロスはそう言うなり男に向かって斧を投げつけた。斧は凄まじい勢いで回転しながら飛び、男の背後の岩盤を打ち砕いた。 「ナッ!?何処だ!」 岩盤が崩れ落ちた場所にはすでに男の姿はなかった。 「この程度の奴に何をてこずっているんだ?」 「ちょっと油断しただけさ…」 男はエリカの隣に姿を現わしたが、彼女はそれに驚いた様子はなかった。 「その油断が命取りになるんだ」 「そんなこと言われなくてもわかってるよ!」 エリカの意識はすでにミノタウロスから離れているようだ。 「貴様、エルフ…いや、ハーフエルフのようだが…何者だ!?」 自分の存在を無視されたミノタウロスは興奮気味にハーフエルフに質問を浴びせた。 男はミノタウロスに一瞥(いちべつ)をくれると、そのまま前に進み出た。男は薄手の布一枚にナイフ1本という軽装だった。 「フッ、俺か?」 男はそこで一呼吸おいた。 「俺は大陸一の精霊術士<NニーR様だ」 クニーR≠ニ名乗るハーフエルフは胸を張って高らかに宣言した。 「グフフ…自ら大陸一を騙(かた)るか?愚かな……」 ミノタウロスはくぐもった笑いを響かせた。 「試して…みるか?」 クニーRの紅い瞳が鋭さを増す。 「待って、そいつはあたしの獲物だよ」 エリカの声がクニーRを制した。 クニーRとミノタウロスのやり取りの間にエリカはユリアの回復魔法を受けて完全に傷を癒していた。 「譲ってやってもいいが、その代わり…」 「わかったよ、無事帰れたらいくらでもおごってやるよ!」 クニーRの言葉をエリカが遮った。 クニーRはその言葉を聞いて満足そうに笑みを浮かべると、ミノタウロスに背を向けて歩き出した。 ミノタウロスは隙だらけのクニーR目掛けて拳を振り下ろしたが、大方の予想通り拳は虚しく空を切った。 クニーRは何事もなかったように壁際に姿を現わす。 「さて、今度は本気で行かせてもらうよ!」 憤慨(ふんがい)するミノタウロスの前にエリカが進み出た。 「グフゥ…まだ分からぬようだな……」 ミノタウロスは崩れた岩盤の中から斧を拾い上げて雄叫(おたけ)びを上げた。 エリカは一回大きく深呼吸すると、剣先に意識を集中させた。 「桜花流剣法奥義……」 エリカは誰にともなく呟いた。 ミノタウロスが斧を振り下ろすのとエリカが駆け出したのはほぼ同時だった。だが、斧が地面を打ち砕いた時にはエリカはすでにミノタウロスの背後にいた。 「グオォッ!?!」 ミノタウロスの身体に無数の傷が走り、血飛沫(ちしぶき)が舞う。その傷ひとつひとつが最初の一撃よりも深く、ずっと鋭いものだった。 桜花流剣法奥義”桜花乱舞”、それがこの技の名前だ。 巨大な怪物は悲鳴を上げて片膝を着いた。 「どうだ!」 「おのれ…人間め!!」 ミノタウロスに先程までの余裕は感じられなかった。思いもよらぬ展開に冷静さを欠いた怪物は、無闇に斧を振り回し、無駄な動きが多くなった。 攻撃が当たらなければ豪腕を誇るミノタウロスと雖も、もはやエリカの敵ではなかった。 エリカの動きに翻弄されたミノタウロスの身体に新たな傷が次々と刻まれてゆく。その傷は怪物の凄まじい再生力が追いつかないほどに拡大していた。これ以上拡がれば致命傷になりかねない。 「ま、待て!もう生贄は要求せぬ…見逃してくれぬか?」 ミノタウロスの急な命乞いに、エリカは振りかざしていた剣を止めた。 「その手に乗るか、時間を稼いで傷を癒す気だろ?」 エリカは剣をかまえ直す。 「ち、違う!お前等は村の奴らに騙されているのだぞ!」 ミノタウロスの視線がミーナに移る。エリカもつられてその視線を追った。 その一瞬の隙をミノタウロスは見逃さなかった。 怪物の斧が素早くエリカの胴を横薙ぎにする。ミノタウロスは忌々(いまいま)しい小娘の身体を両断したことを確信した。だが…… 「その手は食わないって言っただろ!」 エリカの瞬発力は怪物の想像を超えていた。ミノタウロスの頭上まで跳躍したエリカはそのまま怪物の額に剣を振り下ろした。 怪物の絶叫が洞穴内に木霊する。 「グオォォ…!!」 ミノタウロスは両手で額を押さえると仰向けに倒れた。怪物の巨体は轟音を立てて空洞の岩盤を崩し、そのまま空洞の外に落下していった。 「あ〜あ、落ちちゃった……」 エリカは壁に空いた大穴から身を乗り出して崖の下を眺めた。 崖の下には霧が立ち込めており、ミノタウロスの姿を確認することはできなかった。もっとも霧が晴れていたとしても、この高さでは肉眼で地上の様子を確認するのは無理だろう。 あれだけの傷を負い、この高さから落ちたのではさすがの怪物も助かるまい。 「どうすんだよ、賞金が貰えなかったらお前のせいだぞ」 クニーRが悪態を吐(つ)いた。 「仕方ないだろ!まぁ生贄の娘も助けたんだし、なんとか証明できるって」 「だといいがな……」 クニーRはそう言って何かを思い出したようにミーナを見た。 「そう言えば…気になることを言ってたな……」 クニーRはミーナの元に歩み寄った。 邪悪な怪物から開放され、もっと喜んでもいいはずだが、ミーナの表情はどことなく暗かった。 薄い布を腰と胸に巻いただけの娘をクニーRは舐めるように見回し、ミーナの肩に両手を置いた。 「こら、何やってんだよ!」 エリカの叱咤(しった)が飛んだが、クニーRはそのまま顔を近づけてミーナの瞳を覗き込んだ。 「あの化け物は村の連中が俺達を騙していると言っていたが、本当か?」 「あ…あの……」 クニーRの紅い瞳に見詰められ、ミーナはそのまま瞳に身体が吸い込まれるような不思議な感覚に陥った。ミーナは眼を逸らそうとしたが、なぜかそれができなかった。 「ごめんなさい……」 ミーナはクニーRの足元に頽(くずお)れ、すべてを語り始めた。 一年前、怪物に生贄を要求された村人達は、村長の家に代表者を集めてその対策を講じ合った。そうして出された結論は、ミノタウロスを退治しにやってくる冒険者を生贄として差し出すというものであった。 自分の力に絶大な自信があったミノタウロスはその条件を了承し、事前に賞金稼ぎの人数と性別を報告するよう村人に命じた。そして村人が裏切らないように村長の娘ミーナを人質≠ニして連れ帰ったのだ。 それから村人達はやってくる冒険者をミノタウロスの住処(すみか)へと送り続けたのである。村人は冒険者を村に足止めして人数を調節したり、来訪者が途絶えると賞金額を釣り上げてたりもした。 それが村人の利益を守る最善の選択だった。こうして誘き出した冒険者が万一ミノタウロスを倒したとしても、それこそ村人にとっては好都合なのだから。 「どうか…どうかお赦(ゆる)し下さい!」 ミーナはそこまで語るとその場に泣き崩れた。 「こんなことって……」 エリカの表情にさっきまでの明るさはなかった。 「フッ、人間も魔物も所詮は獣(けもの)ということさ」 エリカとは対照的にクニーRの口元には微かな笑みが浮かんでいた。 「まあいい、これで村から報酬を倍はせびれる」 クニーRの高笑いが洞穴に木霊した。 |